シンプルに

私たちの合気稽古はとてもシンプルです。

しかし、シンプルが故に逆に難しく”考える”方がおられます。

特に知識や経験豊富な方ほど

先読みして”余計なこと”を混ぜる傾向があるのかもしれません。

中には私が今まで一度も言った事がないような理論を述べる方もおられますので(笑)

大東流合気柔術 無限道場

道場長 竹内 研二

http://www.mugen-dojo.com/

心の動きは身体に現れているなぁ

合気の稽古を通じて感じることは

「心の動きは身体に現れているなぁ」ということ。

我々の道場ではいかに自分が崩れずに相手を制するかということを求めて稽古を行いますが、相手を「投げたい」、「技を掛けたい」・・・そういう気持ちが先にに立っている方は「相手よりも先に自分が崩れている」と感じます。

例ば足のスタンス。我々はあまり広いスタンスをとらず、肩幅かやや狭めのスタンスで立つのですが、投げたい気持ち前面の方は無意識なのでしょうが、それが広くなっていたり、また、正座の状態では大きな姿勢に努めるはずの稽古が相手を投げるためになると腰を丸く屈めたり・・・

これらの事は本人も解らずにやっていること。そこで思うことは、心がいう事をしっかり聞いてくれるまで身体を矯正すること。

一人稽古などで同じことを何度も何度も練磨して、または道場では師範や先輩に同じことを何度も何度も指摘されて、ようやく自分の心を操れるようになるのかもしれません。

そして課題を一つクリアすればまた一つ・・・

ホントにやる事が尽きません(嬉しい悲鳴ですが)

大東流合気柔術 無限道場

道場長 竹内 研二

「無」で歌う

先日TVでテノール歌手の秋川雅史さんがこう言っていた。

「無で歌う」

歌に自分の感情を込めないのだそうだ。

「お客さんに感動を与えよう」として自分の感情を歌に乗せてしまうとよくない。なぜなら歌を聞いた方の受け取り方は人それぞれであって、それが”自分の感情”に限定されてしまうからというもの。

「合気と同じじゃないですか」という気持ちの中でこの話を聞いておりました。

合気も同じで「相手を投げてやろう」という自己が立ちすぎると「相手が観えない」し、それこそ十人十色の相手の攻撃、相手の変化に対応できませんので、常に「無」でその場に臨むことが大切なんです。

ではどうやったら「無」になれるのか?道場生の方からもよく「それが難しい」と言われますが、私はこう思います。

無邪気な子供のような気持ちで稽古に臨むこと

無になれない、無になるのを邪魔している要因は「大人の顔」、「大人の思考」ではないでしょうか?