第5回合宿に行ってきました。

2018合宿

第5回合宿に行ってきました。10/13(土)14(日)

菊池渓谷~吉無田高原~阿蘇草千里~九重長者原

 

日常の生活に追われて写真整理などサボっていたら、もう一週間が経ってしまってました。

ホント早いもんです。

無限道場の合宿は”遊び”がテーマなので道着は要りません。

とにかく遊び、エネルギーをいっぱい使うことが目的なのです。

おかげさまで二日間とも晴れてくれましたので、思いっきり発散できたのではないかと思います。

皆でボールを追いかけて遊ぶ、しゃぼん玉を飛ばす、ブーメラン、凧揚げ、夜は花火。

おなか一杯です。

 

その他写真は無限道場第5回合宿の模様

https://www.mugen-dojo.com/gassyuku/

大東流合気柔術 無限道場

道場長

竹内 研二

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私が合気を続ける理由?

「あなたは何のために・・・?」

もし今、私が合気の稽古を続けている理由を聞かれたら

こう答えるかもしれません

「将来の自分のために」

まるで「気力の貯金」でもしているかの様な感覚とでも言いましょうか。

不思議なことに気力は使えば使う程、更に大きく貯まって?いくのを実感出来ますからね。(笑)

 

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守破離の「守」

守破離(シュハリ)とは

剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。 とコトバンクにある。

 

今日はこの「守」について

「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守りとありますが・・・

皆さん「忠実に守る」って出来ていると思いますか?

守破離ではなく、「我破離」や「私破離」、「己破離」になってしまっていませんか?

私が思うに「守」師や流派の教え云々を忠実に守るとは自分の考えを離れ、もしくは捨てて、その教えに素直に従う姿勢が必要なのであり、うちの道場で云えば理合(自然の法則)に従うということなのですが・・・

以外にこの「自分を捨てる」ということが出来ない人、結構多いと思うんですよね。

素直に従っているつもりでもついつい「自分」が出てしまうみたいにね。

特に無限道場で合氣を学ぶことは理合(自然の法則)に従うということ。

人が決めたルールではなく神の定めた法則に従うということなので、そこに少しでも「我」や「私」、「己」のようなものを混ぜると理解できないように思います。

なので私が稽古でやっていることは技を磨くということではなく、いかに「自分」というものを捨てきれるかを求めてやっているつもりでいます。

それでも中々出来ない(捨てきれない)ですからね。

 

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居合不正昇段

ここ数日取り上げられてますね。居合昇段の不正事件。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180818-00000040-san-soci

大金を積んででも最高段位の称号を得たいという人と、その気持ちを上手く利用する魑魅魍魎たち。互いに”不正”ということは理解されているのでしょうけどね。

魑魅魍魎の誘惑に乗らないこと、弱い自分に打ち克つこと。容易ではないかもしれませんが、武道、武術とはそういう精神面の鍛練、練磨が本来の目的なのではないでしょうか?

 

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武道・武術と宗教

武道・武術と宗教

私が道場で氣や目に観えないチカラのことを表現すると「なんだか宗教っぽい」なんて言われます。皆さん「あんたのいう事は胡散臭い」という意味でそう表現しておられるのでしょうが、どちらかと言えばうちの道場、宗教色を取り除いている方だと思います。

まず稽古初めと終わりの礼に「正面や神前、武道の神様?に対する礼」という意味はありませんし、座禅や瞑想も行いませんのでね。

そこで思うのですが・・・

例えば合気道には天の鳥舟の行(舟漕ぎ運動)や振魂の行など神道の行が準備運動の中に取り入れられていますが、その意味が解った上で体操している人が果たしてどれぐらいおられるのでしょうか?

また武道に限らずヨガにも太陽神に礼拝するポーズなんてありますよね。

思いっきり宗教儀式が取り入れられていますが、皆さんここには抵抗がないのでしょうか?

その”型”や”ポーズ”の意味を知らぬ間に何らかの宗教儀式をやらされてる事、多いと思いますよ。

合掌なんてもろに”手印”ですしね。

皆さん、自分がやってる事がどういう宗教に繋がってどういう意味があるのか・・・

しっかり調べてみられると面白いと思いますよ。

 

※私個人としてはどこかの宗教団体に属している訳ではありませんが、聖書を通読しキリストの教えに傾倒しつつある者であります。なので、正面や神前に対する礼、何らかの宗教儀式ともとれるような型の稽古など、道場内には統一した宗教観はありません。禅や瞑想も行いません。

各々の宗教観に従ってくださいという感じでやってます。

 

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