合気道

私の人生を大きく変えた映画

 

私の人生を大きく変えた映画

その一つは間違いなく「刑事ニコ」です。

中学生の頃位から「もっと強くなりたい!!」と武道・武術を志そうとしていたのですが、空手や柔道、剣道ではない”何か”を求めていた私にとって、セガール先生の合気道シーンはとても衝撃的。雷に打たれたような感覚は、今でも鮮明に覚えています。

そして初めは合気道を志すのですが、何故か大東流合気柔術の道へと導かれました。

不思議ですが導かれたとしか言いようがありません。

今では「この道しかない」という位

ピタッと私の人生にはまってしまっておりますので。

 

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大東流合気柔術 無限道場

道場長 竹内 研二

http://www.mugen-dojo.com/

 

和合は求めない

コトバンク デジタル大辞泉にこうあります。

わ‐ごう 【和合】

仲よくなること。親しみ合うこと。「夫婦―の道」「家族が―する」
男女が結ばれること。結婚すること。
まぜ合わせること。調合。また、まじり合うこと。

とありますが・・・

私は合氣の稽古において”和合”は求めておりません。

そして相手と和合することが”合氣”だとは思っておりません。

 

稽古において私が求めるのは

相手の事を最大に尊重すること

 

仲良くなること、親しみ合うことはもちろん大事ですが・・・

ちょっと求めているものとは意味合いが違うのです。

 

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合気道開祖のお言葉に強く共感いたしまして・・・

ツイッター 植芝盛平bot様 に以下の記事があったので引用させていただきます。

植芝盛平bot     ‏@Morihei_bot

我国には本来西洋の様なスポーツというものは無い。日本の武道がスポーツと成って盛んに成ったと喜んでいる人が居るが、日本の武道を知らぬも甚だしいものである。スポーツとは遊技であり遊戯である。魂の抜けた遊技である。魄(はく・肉体)のみの競いであり、魂の競いでは無い。『武産合気』50p

私も強くそう思います。

植芝先生はもちろん、この時代の合気の名人、達人と言われる先生方の写真を拝見しますと、現代の武道家とは身体の在り方が全く違うと感じさせられます。

「ビシッ」と何かが通った姿勢なんです。

私は稽古に於いて「魄」(肉体)の技術を磨くことも大事ですが、「魂」の働きに満ち溢れた身体造りを求めていく事の方が重要であると思っており、それが「気の身体」だと思っております。

大東流合気柔術 無限道場

道場長 竹内 研二

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相手の力を利用する?

大東流合気柔術の事をあまりご存じない方からよく言われることは

「相手の力を利用するんでしょう」

こう言われる方が大半です。

もちろん攻撃を仕掛けてきた相手身体の自由を奪い、攻撃を制するといった稽古が殆どなのですが、「合気」とはそれだけではありません。

筋力重視ではない身体造り、自分自身の身体を「氣」の働きによって筋力体に代わる強靭な合気体へと練磨していく訳です。

そういった意味では合気を使った当身の先制攻撃もありますし、剣や杖を掴めば合気剣、合気杖となる。そう私は思っております。

また、一般的には

不思議に崩れる技=合気

と捉えてある方もおられるでしょうが、私はそうは思っておりません。

空手家には空手家、柔道家には柔道家の鍛練法があるように、合気柔術家には合気柔術家の鍛練法があるということだと捉えております。

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